TOYOTA 2000GT comes back to GINZA

トヨタ2000GT龍妃(リュウキ)1/27(月)銀座に登場!

<昼の部>開演前・終演後 銀座スターホール前に出現

<夜の部>あの映画スターが、ご乗車に・・・?

スポーツカータイプを予定しておりましたが・・・

環境問題に配慮し、今回は車種を変更しましたので

画像だけとなります こちらは、また、どこかの機会で!

「007は二度死ぬ」同型ートヨタ2000GT 

6/10(月)2:00pm ごろ、銀座4丁目交差点に登場しました!

映画『007は二度死ぬ』の劇用車として製作されたオープン仕様のトヨタ2000GT 映画公開当時、メディアにお披露目されたときのカット
http://gazoo.com/car/pickup/Pages/meishakan_010_003.aspx
http://gazoo.com/car/pickup/Pages/meishakan_010_003.aspx
1967年の第14回東京モーターショーのトヨタブースにて、特別色のゴールドに塗られたトヨタ2000GTとツィッギー。ゴールドのトヨタ2000GTは3台造られたといわれ、うち1台は現在ヤマハ発動機が所有している。
日比谷映画
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67年、本格的にスタートしたトヨタ2000GTの生産は、

建て物が出来始めたばかりのヤマハ磐田工場で

行われました。

 

当時は、主力の2輪車は浜北工場が中心。

磐田で初の製品がこの2000GTとなったのです。

 

一台一台丁寧に、殆ど手作業での組み立て。

 

351台の2000GTは、全てこの磐田の地から生み出されました。

 

トヨタで設計がスタートしてから、一号車が完成するまで僅か1年、

市販に移されるまで3年。

 

新型車の開発期間としては異例に短かいのは、

トヨタ=ヤマハのプロジェクトチームの情熱、

チームワークの賜物でした。    
 

  屋根の無いオープンタイプのトヨタ2000GTは、

映画「007は二度死ぬ」で、ショーン・コネリーと共に

スクリーンを駆けました。

 

日本を舞台にした007作品の構想で、プロデューサー

アルバート・ブロッコリの目に留まったのが2000GTでした。

 

しかし映画のためには、俳優の顔が見えるようオープンに

という依頼から、トヨタが2台だけ製作しました。    
 

  世界レベルの性能の証明へ。2000GTは、

当時の市販車スピード世界記録に挑戦しました。

発売前の66年10月、足掛け4日・78時間に渡って敢行された、

スピードトライアルで一周5.5㌔のバンク付きコースを、

5人のドライバーが交代で、燃料補給やタイヤ交換以外は

止まることなく走り続けました。

78時間、一万マイル=1万6000㌔走行の平均時速は206.3㌔。

3つの世界記録と13の国際記録樹立は、高性能の証しとなりました。    
 

  さらに2000GTは、レースにも参戦し、破竹の快進撃を見せました。

67年4月に富士スピードウェイで行われた日本初の24時間レースでは

スタート直後から2台の2000GTが圧倒的な速さでコース上を支配。

夜の闇、突然の雨や霧も78時間スピードトライアルで鍛えたマシンには

敵とはならず、見事な1-2フィニッシュを果たしました。    
 

  しかし、輝かしい歩みを印したトヨタ2000GTは、生産は僅か3年で

打ち切られることになってしまいました。

利益を度外視したクオリティ、手作りの手間による高価格で、

販売は壁に突き当たってしまったのです。

 

67年から70年の3年間で作られたのは、わずかに351台。

トヨタ2000GTは、まさに幻の車となりました。 

 

(引用元)

http://www2.satv.co.jp/satv_midnight/contents01.php?id=2&recid=40